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真言密教


戒名は、得度した証として命名され、坊主のマニュアルの中に命名辞典がある。

 坊さんが亡くなられたら、一般人のような葬式で行われる枕教は必要ないのです。
理由は、生きている間に得度しているからです。
『あんたは亡くなったんよ、迷わず成仏しなさいね』と枕元で教えてあげるのが枕教なんですって。

 元来、宗教ってのは、社会秩序を保ち、悩める人に道しるべを示し導くことにある。
僕が読んだ本の中に原始宗教ってのがあった。本には、仲良く暮らしていた家族の一人が亡くなり、地表で土に還って行く行程を目にした恐怖から始まったとされてます。土中に埋め、怖い姿で蘇らないように重い石で蓋をすることが墓の始めなのだそうです。
少し発展し、風葬、鳥葬、水葬、火葬などへ移行していった。鳥葬では、猛禽鳥が居ないと考えられなくて、空を飛ぶ鳥を眺め、空の上に天国を想像することで、空へ運んでもらいたいところに肉食の鳥が居たのですから、自然発生的に移行したことでしょう。

 真言密教では、亡くなった人よりも生きている人を救う術が多くあって、健康になる術、精神を統一する術、瞑想から脳内麻薬を分泌させたり、バイアグラ効果まで揃っているのです。
ですが、それらは公開されることがなく、坊主が修行する過程で習い、習得していくのです。当然、出来ない人が大半なのです。
ですから、高野山では麻薬であったり男色の徒が高い密度で居るそうなんです。

 修行
例えば、宇宙には膨大なエネルギーに満ちています。座禅の姿勢からそのエネルギーを吸い込んで、丹田、臍の下に蓄え、体内の毒素を掻き集めて排気にて吐き出す。精神のバランスを整えることで健康な血流ができ、免疫機能も高まるのです。
※丹田:臍の下を言い、全身の精気の集まるところ。

 阿自観と言うのは、座禅を組んで瞑想の姿勢をし、阿の文字を大きく書き、壁に貼って見るともなしに見、周囲に宇宙を想像します。宇宙の中の個(己)と対話をします。過去に起こった、或は行ってきた行為を正直に問いかけ反省します。クリスチャンの懺悔に相当しますが、自分自身で許しを求め、与えるのです。
許しを与えるにあたっては、当然、繰り返さないことが条件になりましょう。 そうすることで煩悩を切り捨てていくのです。

 空海亡き後、時の皇后陛下なり、高い位にあるご婦人が懐妊されると、無事に男の子が生まれるように祈祷をします。それも、司馬遼太郎の本の中に表されていますが、位の高い坊主の精液で墨を擦り、嘆願書の文字を書くのです。がしかし、位が高い=高齢でもあって、絞り出すのが困難になります。弟子が手伝いをしたのだそうです。出された液色にも位があり、青が最高とされていると記されています。
これらの儀式にしても誰かが考えたもので、効果を期待はできずとも安産であれ、母子ともに健康であれと願う気持ちを受け止める器でもあったのでしょう。僕も、神頼みした子らが二人居ます。

 こうして宗教の何たるかを考えてみると、生きている事こそが宗教であるように思います。
死して仏の末席に行きたい希望、その瞬間が楽であり、絶望するのではなく全身に安堵感が溢れかえることを切に願い、精進すべきなのでしょうね。  般若心経の教本が何処かにあったなぁ〜 

 追伸
みっちゃんの養母さんもみっちゃんも家族だけで、坊さんに儀式的な葬儀だけしてもらいました。
ですから、一般的な葬儀屋に依頼していません。
葬儀とは、近隣の方々とのお別れです。大事なことは残った者の気持ちだと考えています。変な奴だと思われますでしょうが、一般的な葬儀は無意味だと考えているのです。

by kattyan62 | 2011-08-16 13:27