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山の彼方の空遠く・・・・



今日、幸せについてのテーマが多いのは、今の僕が幸せに包まれている所為なんです。(本日5編だけど、4編前から)
それで、僕のブログ[山の彼方の空遠く・・・]のカール・ブッセの詩が嘘だってことに気付いたから、ここに訂正させていただきます。
エイリアス『皆さん、すいませんね、かっちゃんはバカですから嘘だなんて言いますが、幸せを追い求めた場合はカールの言葉通りだと思うのです。すいません』


上田敏訳
山のあなたの空遠く  
 「幸い」住むと人のいう
ああわれひとと尋(と)めゆきて 
 なみださしぐみかえりきぬ
山のあなたになお遠く 
 「幸い」住むと人のいう

カール・ブッセ原文と直訳( 上田敏より )
  Ueber den Bergen Carl Busse 山のかなたへ /カール・ブッセ

Ueber den Bergen, weit zu wandern 山のかなたの果てしない遠くに
Sagen die Leute, wohnt das Glueck. 幸福が住んでいると人が言う

Ach, und ich ging im Schwarme der andern, ああ、そして私もみんなと一緒に行って
kam mit verweinten Augen zurueck. 涙のあふれた目のまま帰ろう

Ueber den Bergen, weit weit drueben 山のかなた遠く遠く向こうに
Sagen die Leute, wohnt das Glueck. 幸福が住んでいると人が言う



 幸せを求めない人は居ないでしょう。不幸を自ら願う人が居たならイエスさまか超マゾヒストで現実的ではありませんね。
自分史のページ数の多くなった僕が、今を幸せだと書きましたが、本当に自分史の中で大きな幸せだったのは、山の彼方ではなく、過ぎ去った過去にあったことに気付いたんです。

 18歳のみっちゃんが僕の勤める会社に勤めるようになってから、生産に未熟だからと言って製品の配達に彼女を指名して僕の運転するトラックの助手席に乗せ、住吉から紀ノ川までのドライブを楽しみ、帰りには出雲大社、初芝支社へお参りしたのも、振り返れば幸せな時間だったことを知る。
配達の度に彼女を指名することで、他の社員から依怙贔屓だと顰蹙も買ったが、そんなことは無視をしたし、無視ができる環境が僕には許されていた。
社長が僕のそんな行動を戒めはしたが「今の僕には仕事の次に大事な存在だから」と反論し、それを通し続けた。嗚呼、あの頃のみっちゃんも社長も懐かしくって胸が熱くなるよ〜

 みっちゃんと挙式を挙げ、友達の好意で借りたホンダN360の軽四で出掛けた伊勢路の新婚旅行も、今もくっきり思い出せる。

 みっちゃんのお腹が膨らんできた時に着ていたマタニティの茶色いアッパッパーの生地の手触りも、今もくっきり思い出せる。

 大きなお腹で、泉州の叔父を訪ねたときに農業用の小川に落ちて腰までびしょ濡れになって泣いたみっちゃんを、今もくっきり思い出せる。

 大きなお腹で、家の階段から落ちたとお尻の青痣を見せ、真顔で心配する僕を笑い、産まれた娘の胸の赤痣は落ちた時にできたものだと思い込み、大人まで残るかと真顔で心配したみっちゃんの顔を、今もくっきりと思い出せる。

 慰安旅行先の宴会中に産まれたとの一報で娘の誕生を知り、皆にもらったおめでとうの言葉。
帰って、家にも寄らずに行った病院でみっちゃんに「でかした。おつかれさん。五体満足なん?」と声をかけたらみっちゃんは涙を流して小さく頷いた。
泣き虫で人見知りの激しい娘が家族の一員になった当時の感動は、今もくっきり思い出せる。

 一年後に仕込んだ息子が産まれた。自分で歩くのだと抱っこを嫌がり、娘よりうんと手の掛からない子が家族の一員に加わった。
幼い息子が泣き出すと、二歳になったばかりの娘も泣きながらミルクを作れと強請り、出来たミルクを飲ませながら見せた笑顔は、今もくっきりと思い出せる。
写真に写ってる息子の小さな手が、僕の肩に手を乗せた姿の愛らしさに、今も心が温かくなる。

 そんな子供たちが遊ぶ姿を見るみっちゃんの慈母観音の優しい顔を、今もくっきりと思い出せる。
こうして振り返ってみると、過去にあった大きな幸せを思えば今の幸せは小さいものだと思う。
どんなに小さな幸せであっても幸せであることにかわりはなく、今日の現実の喜びをじっくりと噛み締めたい。
 

by kattyan62 | 2011-01-31 15:45