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マリア・パヘス&リバーダンス 


マリーアの踊りを観たのはリバーダンスの日本公演で彼女自身がアイリッシュ音楽を振り付けたもの。
(拡大すると迫力が増し尚、終了後、左下のもマリーアのリバーダンスでの踊りが観られる)



 二度目にリバーダンスを観たのは大阪城の北にあるホールで、マリーアのダンスを期待したのだが、別人だったことで迫力に欠け落胆したことがある。また、主役ダンサーも別人だった。
この映像は、ニューヨークのラジオホールで収録されたもので、僕が名古屋で観たものと同じ構成で同じ主役だったのです。名古屋の大ホールだったが、前から5番目の列で良かったが右端の方だったことも、或る意味良かった。それは、足運びが前から見るより横からの方が観易かったのだ。
今も大事にしているNY in Radio Hall で収録されたDVDをみっちゃんが幕間に買ってきてくれた。





 またもや寄り道だった。
昨日の深夜、たけしがマリア・パヘスをインタビューした番組を録画した。
彼もまた、僕と同じDVDでマリアに魅了された一人だそうな。

 ギターの音色が好きで、小遣いをはたいて質流れのギターを買ったのは16歳だったろう。今もある。
以前にも書いたのだが、商店街の靴屋さんの息子は先輩で、彼は靴を修理して疲れるとギターを弾いていて、音色に惹かれて聴き惚れた。禁じられた遊びを淀みなく弾いたのに堪らなくなり教えを乞うた。
楽譜も独学だったが、一応は弾けるようにはなった。音符の早さを未だに理解できずにいて月光なんぞは淡々としてしか弾けないのだ。

 手指を怪我して弦に触れることが少なくなった分、押尾コータローや沖仁のCDも買った。
沖仁、クラシックメドレー(これは持ってへんから、此処へ残しとこ)


 リバーダンスはショーとして演じられていて、本来のアイルランドではどうなんだろうと興味があって、色々調べてたら、偶然とは恐ろしいもので、NHKの番組だったが、アイルランドの村のパブで箒を片手にウェイターが踊り、また、誕生日に集まった親族、友人たちと踊っていたのが、土の匂いがするような素朴さに、上半身は動かさない独特のダンスのルーツも調べた。
また、子供達が、ダンスのクラスへ通い練習する様や、街角で練習だか見せているのかのダンスも見た。
子供達が街角で。


アイリッシュ音楽

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by kattyan62 | 2011-09-08 00:22 | Music

Musicで今一度


今日一日で、何度のHtel Californiaを聴いたでしょう。
イーグルスは勿論ですが、Los Fernandosの調子の良いのも数度聴いた。
レゲエのVarious ArtistにGabor Antal Szucsのラテンジャズのもロス・デル・バーレのギターも。
名曲です。
Youtubeで検索すると、ピヨピヨ楽団って三つ子の女の子とドラムスも中学生らしい男の子が受け持ち、爺さんがリードギター。ボーカルの女の子が、歌詞が終わり、演奏を聴いている間の顔が、如何にも素人の幼さが可愛いのでした。


 また、山崎まさし、奥田民生、チャーの下記の会場名を見ず、替え歌になった部分を聴くと北海道での公演だったと思われるもの。


 後はSanta Esmeralda のDon`t Let Me Be Misunderstoodが大ヒットしたのも頷けます。

何とですね、以前に買ったのを忘れて買ってしまったのです。お汁粉に酔ってたと言い訳しません。バカですね。同じ曲を Antonico Reyes & Gyosy -Elixir のも素晴らしいのです。

そうそう、好きな曲でSantanaと言えば、古くはBlack Magic Womanでしょう。
若いMAYUMIちゃんは知らないだろうね。
こんな曲です。エッ 知ってたん?  


 訂正[Santa Esumeralda]と[Santana]、大変な間違いをしてました。
Santanaは、随分前のBSの番組でのコンサートを録画しています。音楽を聴きながら台所に立っていると、身体が揺れ、キュウリを刻むのもリズミカルですし、調理に音楽は欠かせませんよね。聴いてます?
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by kattyan62 | 2011-09-04 21:16 | Music

音楽で一言


酒が無くても構わないけど、音楽が無い生活は許せないのです。

 その昔、子供が小さかった頃、子供に子守唄を聴かせるのはみっちゃんで、僕はLos Indios Tabajaras(ロス・インディオス・タバハラス)の兄弟が奏でるギターで眠れたのです。
当時はレコードですから、ステレオセットでの全曲が終わりアームが戻ると電源をオフになるように改造してあったのです。家に似合わない大きなスピーカーボックスだったですね。

 僕が洋楽に出会った最初と云っても良いのは、近所のお姉さんが留守の間に入って聴いても良いよと言ってくれ、江利チエミさんがカバーした、ローズマリー・クルーニーのカモナ マイ ハウス(Come on a My House)
往年の彼女の歌声と、

少しふっくらされて、日本公演のようですが、変わらぬ声量で歌われてるのが見付かりました。


 お姉ちゃんの家に上がり込んで、当時少ないステレオの前に座り込んで何度も何度も聴き込んだのでした。
暫くして、友人とステレオを組んだんです。ゲルマニューム検波器が出て、アメリカではトランジスターが発明された頃じゃないかと思うのですが、僕らはレギュラーな真空管の回路図を手に入れ、日本橋の電気街で部品を、月々の小遣いで集めました。スピーカーボックスは厚いチップベニアに毛布を敷き詰め、幼い道具で苦労して出来上がって音が出た時の嬉しさは、ずっと後に子供が生まれた時にイコールであったように思えます。

 隣りから苦情が来るぐらいの音量でドカスカ鳴らしたのは、もっぱらジャズだったんです。
隣りのおばちゃんに『キャバレーでも出来たのかと思ったよ』と皮肉を言われたものでございます。
交通事故で入院した時、一年後輩のポン友が見舞いにラジオしか聴けなかったラジカセサイズのを貸してくれて、電リク(電話でリクエスト)なる音楽番組を部屋で聴いていると、隣りの女子部屋から紙飛行機が飛んで来て、静かにしろなんて書いてあったのです。大人しく聞くはずもなく、日本に上陸したてのコカコーラを差し入れして、ご機嫌伺いをしたものでした。一番年下だった僕の言い草が「怒らんといてぇ〜や」だったのです。
ツイスト全盛期でもありました。チャビー・チェッカーですよね。


 当時の3階の入院病棟は長丁場の患者が多く、必然的に顔馴染みとなり、人懐っこい大阪人の集まりですから、兄弟姉妹のような付き合いだったのです。ええ僕はですけどね。
本来、何事にも凹まない奴のはずで、音楽を聴いただけで元気になっていた若い頃は、落ち込む材料もその程度だったのでしょう。
彼女に振られたと云っても、その後の恋に比べりゃ〜命を賭けるほどのものでもなく、芸能人への憧れ程度だったように思います。ごめんね、瀬古口敬子ちゃん、近藤信子さん。

 付き合った彼女を想い出すと同時に、流行の曲名が合って、その曲をも思い出すのです。
曲を聴くと彼女を想い出すのです。ケメ子の歌は、三人目の岡山県の妙子でした。
僕が初めて男になった子でしたから忘れるはずもなく、今も元気なら65歳、良いお婆ちゃんになっていることでしょう。僕との間に子供は居たのかなぁ〜
こういう事って女は隠し通すことができるようで、息子も僕に似ていないのが不思議で、みっちゃんに聞いたことがあります。『ごめん、隣りのお兄ちゃんだわ』と冗談めいて言ってたけど、真実って信じないものですよね。

 此処で、スピーカーから音楽を流すことはできません。ですから、ヘッドフォンかイヤフォンで聴いています。
息子と暮らした家は陽射しが入らず、空もトイレットペーパーのように細長い範囲でしか見えず、嫌だったのです。それが、思わぬ力で吹き飛ばされて広い空に奇麗な空気を手に入れることができました。
でもって、スピーカーで聴けない環境を嫌だ嫌だと思い続けると、前者のような力で全てを手に入れる夢が叶うように思います。小さなほ乳類が空を見上げている内に、膜が出来てコウモリになったようにです。

 念じれば叶うものなのです。皆さんも念じて夢を叶えてくださいね。
MAYUMIちゃんの膝とベストな彼氏ができますように、共に念じましょうね。

 
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by kattyan62 | 2011-09-04 18:53 | Music