2012年 01月 16日 ( 2 )

外国語




 ZAZ 曲名:Eblouie par la nuit 日本語訳 眩しい夜

 ※翻訳にて、Eblouieだけをアプリで訳したら[目がくらむ]となって、par la nuitを検索したけどアプリではダメで、googleで検索して判ったんです。眩しい夜はi tunesで判ってたんですけど、念のためと思うたんですわ。

自分で何を言ってるのか判っとるんかい? と思ってしまう。
フランス語で知ってるのは、サバ、ボンジュール、オールボァ、メルシーボク 、アン、ドウ、トゥア、クワッ? ダコー、ジュテームくらいちゃう?  それにつけてもフランス語の発音はややこしい。
中国語も堪らんくらい発音が難しい。アイが教えてくれたけど諦めたっけ。
マーの言い回しが三種あって、お母さんであり、馬を表す言葉でもあって小馬鹿にしたことになるんやそうでおます。 アイのお母さんに 「ニイハオ」としか言えんかったけど、お母さんのコメントは『南さんは中国人だわ』と言ったそうな。ハハハ ゲップとオナラは一緒だったのに安心したのを思い出しました。

 その昔、ムツゴロウさんがアフリカの原住民であるブッシュマン、ニカウさんを日本へ招待した事と、その彼が[ミラクル・ワールド・ブッシュマン]で主役を演じた。
ニカウさんの生年月日は推測なのだそうだが、だいたい1943年12月16日ってことで旅券が発行されたんやそうです。2003年に彼は薪拾いに行ったまま帰って来なかったそうで、家族が探して変わり果てた姿で見付かったんやそうです。原因は結核らしいってことだそうで、僕と変わらない年齢なのにさ。先進国では命に関わる病でもないのに残念です。
ニカウさんの話す言葉は、タンキング(舌を鳴らす)をしながら言葉を話すのに驚いて鑑賞したことがあります。
その前だったか後だったかに歌が流行った。やはりタンキングしながらの歌だった。器用やなぁ〜
やっぱり日本語、大阪弁がええ。


   
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by kattyan62 | 2012-01-16 23:32 | Music

隣りのおばちゃん


あれは終戦後6年ぐらい経っていて、小学校に上がる直前だったように思う。

 隣りのおばちゃんは陽気でしっかりした人だった。
隣りのおばちゃんの長女は、親しめ甘えさせてもらえる明枝姉さんと言い、15歳ほど年上だったのは後年判った。
長男は兼ちゃん(兼明)と呼んで、当時は野球の名門だった浪速高校の野球部でキャッチャーのレギュラーだったそうな。末娘の妙ちゃんは(妙子)は5〜6歳年上で、弟みたいに可愛がってくれ、銭湯に連れて行ってくれたり、流行だったチャチャチャのダンスのステップを家の前で教えてくれていた。
※妙ちゃんの発音:[た]の次の[え]は半音上げる。[ちゃん]は半音戻すのが大阪流なのだ。

 隣りのおばちゃんの旦那さんは草履の鼻緒をハンドメイドで製造する自営業だった。おばちゃんから聞いた話では、おっちゃんは身体が弱くって、徴兵を免れ、戦地へは行っていないが虚弱が故の苦労があったそうだ。
姑さんも居た。おばあちゃんは、僕を見付けると、針に糸通しをさせる。何本も何本も糸を通して針山に刺しておく。 おばあちゃんは、いつも奥座敷の日溜まりに座っていた。
おばちゃんの家の二階は職場になっており、背中の曲がった障害を持つおっちゃんが働いていて、僕の知るおっちゃんは、いつも皮包丁を研いでいる姿だった。
その職場にお母ちゃんも働いていた。

 門前の小僧
仕事は、細く切った皮をミシンで筒にし、それを裏返すのだが、柱にぶら下げた針金に筒状の皮を入れ、下端を曲げた針金に引っかけて、皮の上から下へしごくと簡単に裏返る。
裏返った皮に麻紐を芯にしたものへ綿を巻いて薄紙で包んで皮に通すのだが、かなりきついから、お母ちゃんが体重をかけて引いて通す姿を思い出す。
通ったものを隣りのおっちゃんが石の台に置き、木槌でトントン叩き、楕円形にし、二つ折りにして前の鼻緒を手で縫い付け、後ろの紐を形良く縛って薄紙で仕上げるのが、隣りのおばちゃんの仕事だった。

 こうして出来上がったものを隣りのおっちゃんは自転車で西成のお客さんへ届ける。
配達は中学校に上がった僕のバイトにもなった

 隣りのおばちゃんに孫が出来た。兼ちゃんの子どもが一番だった。
おばちゃんは、兼ちゃんのお嫁さんが嫌いだった。職場で働くお母ちゃんに愚痴っているのを知っている。
息子の家は歩いても数分と近いのだが、正月でさえ嫁は訪ねてこず、兼ちゃんが孫を連れてくるだけだった。
明枝姉ちゃんが家を出た。会計士の妾だと後年になって妙ちゃんから聞いた。明らかに怒っている風だった。
呉服屋時代にたくさんの着物を作ってくれたのは明枝姉ちゃんだった。楚々として色白く優しく、身長も高くて美人のお姉さんに娘が生まれ、仕事中だったけど、小学校3年生になった子を浜寺公園へ連れて行って遊んだことがあり、その日は忙しかったそうでお姉さんはいつまでも感謝してくれていた。
明枝姉ちゃんが逝った。白血病だったそうだ。隣りのおばちゃんに聞いてワンワン泣いた。

 16歳になってた僕が隣りのおばちゃんに怒られた。
次女の妙ちゃんに娘が生まれた。オシメが取れない頃に連れて歩き、いつもの喫茶店へ行くのが決まりだった。
隣りのおばちゃんから孫の貸し出しを禁止された。原因は、市場への行き帰りに喫茶店の前を通ると『入る〜』と言って泣き叫んだのが原因だった。 

 隣りのおっちゃんが逝った。おばちゃんは静かに泣いていた。
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by kattyan62 | 2012-01-16 11:14