衝動、真意


人の感情の中の一つ。

 みっちゃんの生涯に友達以上の親友が一人居た。
下の子が幼い頃に知り合いになり、ズンズンと深く付き合うようになった理由を聞いていた。
その親友は、女性としては大きな身体に反して子供のような性格を持ち、大柄な息子らも一目置いていた。
末っ子が就職してきてお母さんの色んなエピソードを聞かせてくれた。

 末っ子が母を怒らせると、テーブルの向こうから大きな手が伸びて殴られるのだそうな。確かに大きい手だった。
僕の手は身長の割に小さくないのだが、それより一関節大きい。身長もあり、体重もある彼女は静かな時でさえ迫力がある。それが怒りを表すと美形だけに恐ろしいはずだ。幸い、僕はそんな恐怖を味わわずに済んでいた。

 彼女にご主人からキャッシュ・カードをもらったそうだとみっちゃんから聞いた。
彼女は三人の息子を連れて百貨店へ行ったそうだ。そこで、好きな物を貰いなさいと言った。
数十万円の買物をしたそうだ。しかし、彼女の頭には後で請求が来るという認識がなく、「もらった」としか思っていなくてご主人を驚かせたのだそうだ。 

 彼女が初詣に出掛けたそうだ。前を晴れ着で歩く女の子を見て思ったそうだ。”裾を踏むと転けるだろうな〜”
そう思った時、前の彼女は転んでしまっていたそうだ。

 みっちゃんが『友達の家に行ってくるから数日は帰れないから』と出掛けたことがあった。
数日のことだから食事も外食で済むし、洗濯だって困ることはないから安心して気晴らしをしておいでと送り出した。
その夜、無事に着いたからと電話が入り、九州に居ることを初めて知った。季節はヒナ飾りのシーズンなんだとかで日田市の小さな町は賑わっているそうだった。
主婦を遊ぶだけに九州まで呼び出し、呼ばれて出て行く二人の心境を推し量れないが、親友は素直に日田市の賑わいを見せたかっただけで、みっちゃんの置かれた背景にまで思いを馳せることを想定していないのです。

 二人が世情の厳しさから逃れ、子供時代のように一つの目的のためだけに行動することで幸せを味わえたであろうと振り返っている。数ヶ月後、二人で彼女を訪ねたことがある。
行ったのは、彼女の苦悩を知るみっちゃんが慰問をする形でだった。

 彼女の苦悩
彼女のご主人は、単身赴任で大阪を離れて数年になり、その地で起業していた。
ご主人に子供が出来、その人がガンで余命が無いから結婚したいと連絡があったそうな。そして数ヶ月、円満解決したが、九州の片田舎に住む舅殿の世話をして欲しいと義姉に頼まれたのだそうだ。
そこが日田だった。
舅殿と義姉の厚顔さ、生活費の全てを彼女に依存し、しかも食事や清掃への苦情もしきりだったそうだ。

 みっちゃんを呼んだのは、色んな事を抱えて爆発しそうだった頃なのだそうだ。しかし、先にも書いたように、彼女は日田のヒナ飾りを見せたかっただけの誘いだったと後年に聞いている。
舅殿も、みっちゃんの前では遠慮があり、誘ったドライブを満喫し、終始機嫌が良くて親友も安堵できたそうだ。
 
 みっちゃんが逝った。
彼女は、床に着いて動かないみっちゃんの頬を撫で、いつまでも泣いていた。
彼女は言った。『みっちゃんが来てくれた時、一緒に寝ようと言ったけど疲れていたので断ったのが心残りなの』
みっちゃんは、幼くして別れた母を彼女に重ねていたのだろうと思った。

 衝動
春になり、暖かい日になるとカシミアのセーター姿の女性に目が釘付けになる。
胸の線に恥ずかしいほど動揺してしまう。その時、母を思い、みっちゃんを想い出してしまう。
性的な衝動ではない。母とみっちゃんの象徴、それは胸だからだ。
みっちゃんが逝った日、みっちゃんの胸に別れを告げた。34年間愛したみっちゃんに別れを告げたつもりの行為だったはずなのに、春の淡い色目のセーターに包まれた胸に郷愁を感じ、触れたい衝動を抑えている。
フェミニストを自認している。女性、究極的には母に繋がる。
深層心理で母を慕っているのだろうと推察している。寝姿の胎児還りに安心するのもそのためだろう。
男が女性を求める必要は、子孫を残すこと以上に10月10日の母体記憶が色濃く残っている所為だと考えられる。

 女性からすると、『甘えられるばかりじゃ困るのよね。あんたしっかりしなさいよ』と尻を蹴飛ばしたくなるだろう。しかし、権力を握った男だとて、伴侶に母を重ねるのは自然だと想うのです。
しかし、中には常に男として伴侶に接している人も居るだろうが、僕は母に強い思いがあるようで、いつの間にか母からみっちゃんに移行して、みっちゃんに寄せる思いの強さを実感している。
実像の母に会えなくなり、母からみっちゃん、みっちゃんから誰かへと求めているのだろうと想像している。
  
 諸外国の男
映画にしか観ることができないのだが、彼らの深層心理に母の影響がどれほど残っているのか知りたい。
彼らにしろ、男のそういう心理が表面だった行動を決める一端を担っているかもしれないと想うからだ。
力を誇り、格闘技に燃える男を考えてみる。
戦って勝ったとすると、母は誉めてくれるだろう。息子を誇りに思うであろうことはオリンピックの勝者に母が涙する場面に見ることができる。
敗者となり、傷付いた息子を胸に抱き、慰めてくれるだろうことも容易に想像できる。
つまり、勝ち負けに関係なく、母と繋がりを深めることができるのだ。

 母の歌    作詞 野上弥生子  作曲 下総皖一
 1  母こそは 命の泉 愛し子を 
     胸に抱きて 微笑めり 若やかに うるわしきかな 母の姿

 2  母こそは み国の力 おの子らを
     いくさの庭に とおくやり 心勇む 雄々しきかな 母の姿

 3 母こそは 千年(ちとせ)の光 人の世の 
    あらんかぎり 地にはゆる 天つ日なり 大いなるかな 母の姿

 世の全ての母を讃えん。
[PR]

by kattyan62 | 2012-01-27 13:43