幸せの定理


幸せを考えるの巻。

 耳の幸せ
昨夜、アメージング・ボイスって番組がBS プレミアでありました。
対象になった声の主はフランスのメトロや路上で歌っていたストリート・ミュージシャンZAZ(ザーズ)お姉さん31歳。その歌声はシャンソン歌手のビブラートにある小さく震えさせるもの。それにスキャットとフランス語と相まってエンドルフィンが分泌され幸福感で満たされたのです。彼女の歌声に市民は魅了されブレイクしたのも頷けます。
 路上で自由に歌っていたのがステージに上がり、洗練されたプロ・ミュージシャンをバックに歌うことに苦しんだのではなかろうかとか。 ミュージシャンが何の制約もなく自由なテンポと自由なキーで歌うことで歌の歌詞に酔うことができるはず。例えば、牛を追って何ヶ月も旅をするカウボーイたちが、夜、焚き火を囲み、離れた恋人を想って時に超スローで静かに歌うのです。これを冷暖房の効いた部屋で伴侶を前にして聴いてはいけません。
ご主人に何処かに出掛けてもらいましょう。『パチンコか映画でも行っといで』
 みっちゃんが友達とポール・モーリアのコンサートを観て帰った。早速、買ったレコードを聴いていた時、僕が声を掛けたら『イメージが壊れるからあっち向いてて』だってさ。 ごめんね

 路上で自由に歌うZAZ(後のモンマルトルでのスキャットが良いですよ)
曲名:Je Veux 訳 ”したいです”


曲名:Dans ma rue 訳 ”私の通りです”


 歌は、自分を表現する手段の一つとして自分のために歌うことと、特定の人のために歌う恋歌に、神に捧げ歌うものがある。その目的の大半は、聴く人を幸せにするためなんですね。 
踊りも同様で、感じるダンス、見せるダンス、捧げるダンスがあります。
1は、ダンスホールや、クラブ(大人の)のフロアで二人だけの世界に酔うためであり、サルサやリオのカーニバルで踊られるサンバは見せるためのように思います。 3は、神前で舞うものを指し、始祖はと云えば須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴狼藉で、天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまった天照大神(あまてらすおおみかみ)を洞窟から出そうと天鈿女命(あめのうずめ)が踊ったのだと日本書紀に記されている。
天鈿女命の踊りはストリップ・ショーだったようで、胸を露にし、秘部まで衣を下ろし踊ったために、八百万の神々は大声で笑ったのだそうだ。 男の目の幸せと云えよう。まだ性がおおらかだった時代なのだろう。

 岩戸神楽(いわとかぐら)伝説より。
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 小学校で天の岩戸伝説の概要は教えてもらったが、ストリップだったとは聞いてへん。お〜い、せんせ〜い
中学校に入学し英和辞書を買った。友達の安宅健司と最初に調べたのがSTRIPだったっけ。STOPとともに未だにスペルを覚えとる。
大阪には3軒の名だたる小屋と呼ばれる劇場があった。九条、堺、通天閣の3軒。 僕の知らないのは九条。
知らないとは入ったことが無いと云う意味で、堺は早くに無くなったのは残念だが、結婚後もみっちゃんに言ってお小遣いを貰って行った。彼女らは、その気にさせるために踊るのです。 その気とはエンドロフィンを分泌させることであって、エロティックと深い関係があるように思う。 そのような踊りを妻に頼むこともならず、当然ながら拒否されるであろう。 

 口(舌)の幸せ。
昨夜、孫たちに作った親子丼の残り物を温めて食べた。 
高級な店でいただくものも大変美味しいのですが、温め直した親子丼の旨さに、飲み込むのが惜しく、牛のように反芻できればと思いながら食べた。嗚呼 幸せ〜 
高級であろうと、安い食材で自炊したものであっても美味しいものは美味しい。そこに幸せを感じるのには、大きな心配ごともなく健康であることが重要な要素でしょう。
 
 
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by kattyan62 | 2011-12-07 15:49 | Music