宇宙の果てと神と死後の世界



”もしも”は存在しないことでもあるのだが、多くの人が”もしも”を信じると”もしも”の存在することを証明する事象を探し出すもので、中にはもっともらしくコジ付けを話しだす人も現れるもの。
宇宙人やUFOに至っては出会った人も多いようなのだが、僕には”幽霊見たり枯れ尾花”で、存在するなら楽しいとは思うのだが実在しないと考えている。
特に、超常現象ってのは、眉にツバして聞かなければならないし、暇人ではあっても聞くための時間は裂きたくないのだ。

 そうは言うものの、テレパシーは実体験から存在しているとと信じている。
以前に何度か書いたことだけど、過去に体験したことがないほど強い胸騒ぎで目覚めた時間に、みっちゃんが逝ったことを後で裏付けられて知ったのだった。あれこそが、みっちゃんが死の瞬間、僕に送ったテレパシーだと信じている。

 宇宙の果ての姿が、長年悩みのタネだったのが、NHKのサイエンスゼロで教えてもらえて端の姿を想像できるようになった。長年、それを知りたくて機会がある毎に天文に関する書物を見、番組も観ていたのですから、一応の解決を見て、果てに関する事では安堵している。

 神の存在については、遠い過去から現在に至るも、誰も具体的に見える形で示されていない。
だが僕の中では、動植物の進化や宇宙そのもの、原子の不思議など神の所為にしないと解決しないのだ。
拡大し続けている宇宙の元をビッグバンとしている。それ以前を混沌としたクオークだと言い、ペンシルロケットを開発した宇宙工学の糸川博士は法華経の世界だとも発言されている。
有名になった”ダビンチ・コード”では、マグダラのマリアをジーザス(キリスト)の奥さんだとし、末裔の存在することを示唆していた。

 先日、映画を観て、感受性の強い人が悪魔憑きで死に至るというのがあった。
僕は受けたことも無いのだが、催眠術で過去に溯り、トラウマになっていることを治療するってことも現実に起こりうるのかと疑ってしまう。僕はどうも唯物論(Materialism英)者と言えるだろう。

 唯物論
事物や事象の本質ないし原理は、物理現象だとする。反語として唯心論がある。
唯心論とは、人間社会において”心”もしくはその働きこそを至上とする哲学的思想を論ずるもの。

 死後の世界
これも過去に書いたことだけど、僕は臨死体験をしている。
その時間は5分ほどだったと後々みっちゃんは言うが、喘息の発作の予感にタクシーで病院へ向かう途中で悪化した。当時、暮らしていた公団住宅を出て、南海高野線の踏切を渡った辺りで呼吸が苦しくなって、喘ぎの中でタクシーの運転手に向かって違反して飛ばしてくれと頼み、みっちゃんは『そんなことできない』と言い、運転手は『タクシーより救急車を呼べばよかった』と無意味な言葉に腹が立ったのを最後に記憶が無い。
そこから、病院まで5分では行けないはずで、病院に着いて直ぐにみっちゃんが走って誰かを呼び、処置室で電気ショックと人工呼吸で蘇るまでの正確な時間を想像脳へのダメージを考えるとやはり5分くらいなのかもしれないと想像している。
その時に、三途の川を渡りかけたとか、既に彼岸へ渡った家族が帰れと言ったなどと聞いているが、僕には何も無い、オール・ナッシングだったのです。直前の呼吸が出来ない苦しさは健常者の方々には理解できないことですが、時間の短さを思うと、あんな死に方であっても許容しようと思っている。

これらの全て、猫も踊りだすほど神秘の世界なのだ。
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僕は写真の一部を除いて、これほどの満身創痍なのです。
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by kattyan62 | 2011-03-07 14:10