僕の部屋が狭い関係で、高く改造してあるベッドへの登り下りに低い脚立を作ったのは大阪時代。
収納に利用するために90cmの隙間を作ってあります。
脚立は僕が登り下りできるものだから、幼い二人孫が登る姿は可笑しいのです。
想像してみてください。脚立に登ったところが持つ所が無いベッドに登るには、ベッドにベチャっと伏せて体重をベッドに移し、右足を思いっ切り開いてベッドに乗せた後、ズリズリと這い上がるのです。たまには手伝うのですが頻繁に登り下りするので間に合わないことも屢々。眺めてほくそ笑んでいるのです。

人妻とのランチデートで階段を作ろうと考えていると伝えてあり、昨日、出来たぞ、孫に見せてやってと写メールを送っておいたが、片付けをした方が良かったかと反省している。(まだ日があるなぁ〜)
人妻から電話での依頼は、再び宿泊付きの貸し出しなのだそうだ。
人妻の健康に不安があり、気にはしているのだったが過干渉の傾向が強い父だったために口出しを遠慮している。
せめて孫を貸し出してもらうことで手助けができたらと思う。そしてどうせ一緒ならお互いに楽しもうと考えてもいる。
シャボン玉のストローはマクドのを洗っておいた。後は液を作るだけだ。
時間の懸かる竹トンボは削って色を付けるだけにしてしておこう。秘密基地も手入れをしておこうと考えながら片付けが先やろと気付いた。
19〜20日が待ち遠しい!!!
想い出
みっちゃんが子宮筋腫になった。病院嫌いの彼女が病院へ行くと言い出した時はかなり肥大し、ソフトボール大に育ってしまっていた。
その日、大学病院で手術を迎えた。医師は子宮の全摘をしますと告知しながらも性生活に不安は無いと付け加えた。その当日、娘が来ていたのか記憶に無い。待ち合い室で待っている時に息子が遊びに行ってくると言った。僕は激怒し、何のために此処に居るのかを教えた。
無事に成功しましたと、バットの摘出された大きな肉塊を示した。
その夜、我慢強く、少々では痛いと言わないみっちゃんが朦朧とする意識の中で「痛い」を繰り返すので看護師に痛み止めをと責付いた時、僕の顔に怒りが現れていたと思う。
銘木の板を買った。それに脚を付けてテーブルを造り、表面に漆を塗り、炭で磨いだ。
ソファー用のテーブルはあったのだが、気に入った銘木だったので小さ目だったがソファーの前に置いていた。
コーヒーを入れるために立ち上がったみっちゃんがテーブルで膝を打ち、痛さに耐えてしゃがみ込むはずだったのに「このやろう」と珍しくテーブルに罵声を浴びせた。
直ぐにノコギリで角を切り落とした。あの罵声は僕へだったのだと思ったからだが真実は判らない。
みっちゃんは大笑いをしないが、若い頃、通例のドライブ中に宝塚界隈を走っていた。
阪神電車のレンガの小さなガードを右手に見ながら左折した際、僕の肩を叩きながら大笑いをしたみっちゃんに怪訝な顔を向けたら彼女は言う。「あの車の助手席の奇麗な女の人、頭からタオルを冠って端を鼻の穴に入れててん。アッハハハハ お腹が痛い、 アッハハハハ」
みっちゃんは人を笑うことは無い。九州の観光地の土産物店に入った時、クックックックと隠し笑いをしたことがある。売り場から僕の袖を引いて離れると「あの売り子さん、眉を描いているけど変」と言う。
みっちゃんを残して売り子さんに近付いて眉を注視すると、鼻梁から始まり目尻に向い、頬に掛かって長く、端がうねってモミアゲに向かっている。それが美しいと真面目に描かれたであろうと思うと可笑しくて、買うはずの蜂蜜を忘れ、一旦出てから思い出して戻り、大瓶を一つ示し、袋に入れてもらった。家に帰っても蜂蜜の瓶を見る度に思い出して二人で笑った。
九州へは子連れで何度も行った。二人だけになっても何度か訪ねた。
みっちゃんが良い宿を見付けたと言って示したページはペンションだった。
迎えられ案内された部屋は余りに狭く、部屋替えを要請した。
数分後、少し広い部屋へ案内されたが、元々広い部屋は無いのだそうでベッド+ソファー程度で我慢することになった。その夜、若いスタッフが正座表を持ち「どうぞ、此処は満天の星が見られます」と置いていった。
貸し切りの露店風呂の木札も預かり、他の人のために早々に入ろうとみっちゃんを促した。
家庭の長目の浴槽を三つ並べた程の広さだが、露天で満天の星を眺めての入浴は非日常的で、狭い部屋の不満を忘れて、みっちゃんの広い背中を流した。
今年9月になると、みっちゃんが51歳で逝って満10年になり、仏壇の上に置いた写真が微笑んでいる。
彼女が逝って僅か半年もしないで花屋に勤める彼女を作った不良の僕ですが、みっちゃんの居ない寂しさを紛らわすためだったと自負しており、若い彼女との会話は確かに一時的ではあっても忘れさせてくれた。
花屋のマリは二十歳を少し過ぎただけだが心は幼かった。偶然、バイク仲間の同級生だそうで、彼は「あいつはバカだったんよ」と僕に言ったが、それを叱った。
マリは休日の前夜になると、店から仏花を持って遠い家を訪ねてくれた。事前に電話で知らせてくれるので遅い夕飯を用意しておくのだった。高島屋の地下で鍋用の食材を揃えた。
好き焼きが食べたいと言うのを承けての事で近くのスーパーでも良かったのだが、デパ地下で新鮮な野菜と美味しい肉を求めることで訪ねてくれることへの恩返しと考えていた。
夕食の後、汗臭いから風呂に入りたいと言い「かっちゃんも一緒に」と誘ってくれた。
一緒に入浴した後、名残惜しいが彼女の車まで送り、部屋でみっちゃんに詫びた。
マリの言動に裏が無く純粋であるのは、あまり利口ではないからかもしれないのだが好ましいと思っていた。
賢い子には裏があったりする場合がある。娘の後輩は教養もあり賢いのが言動に現れていた。
僕が会うことを止めたと言わせたのは、僕の裏を読もうとしているのが判ったからだった。
”かっちゃん、下心がある?”とメールをしてきた。大人げないと今は思うが何かと過敏だった頃で、許せない一言だった。振り返ってみると、確かに下心と思わせてしまう節があるが、それは誤解ってもんで、みっちゃんに対しているつもりの接待でもあったから、普通の人には”下心”と誤解されてしまったのだろう。
誤解
僕が独身で会社勤めをしていた頃のこと。大半が女性の職場に数人の独身女子が居た。
社長の意向は、辞めて欲しくない人材名を聞いていて、彼女らの不安などの相談に乗っていた。
その一人が社宅に入っていた。隣りの男子が今で言うセクハラをすると云うのを受けて男子を呼んで注意した。それから何度か相談を受けている間に、何を思ったのか「前田さんは私に好意を持っているのよ」と社内で吹聴していると聞き、その日を境に避けるようになり、暫くして去って行った。
女性を大切に護るのは男の本分でもあり、殴られても蹴られても反抗はしないものと考えている。
みっちゃんに数え切れない程殴られた。とは云っても、「ちょっと」と言う声に添えてのパッチンですが、痛いのは痛い。
僕からみっちゃんへ教育的指導に暴力は振るわない。一度は新聞紙の上に皿を並べ、金槌を持たせて「割れば気が晴れる」と言ったことがある。だが、今思えば言葉の暴力だったかもと娘との会話で反省している。
孫の知識吸収は、学校の教育の邪魔にならない程度にと娘から聞いていた。
晴天の駐車場に紙と黒マジックと虫眼鏡を持って出た。
レンズで太陽光を集めて黒く塗った部分を焦がし、煙を見た2孫は驚いていた。硝子や水などの屈折について説明をしなかったのは、学校教育の中で屈折の不思議に驚いて欲しかったからだ。
教えたいことは山程あるが、幼い子らの脳が煙を出すのは避けねばならないと思っている。
お酒とタバコの害を説明し、お酒は飲めないがタバコは若い頃から吸っていたと言い、かっちゃんはバカで早く大人の真似をしたかったんよ、賢いお前らは真似はしないでねと言ったら、姉孫はお酒を飲んだのだそうだ。
お酒と知らずに飲んだのがお酒だったのだそうで、酒好きだが自制の利くパパの賢さの血を引き継いでくれたらと思っている。